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東京地方裁判所 平成3年(ワ)5862号 判決 1995年9月22日

原告

亡井上志津子訴訟承継人

井上和美

外一名

右両名訴訟代理人弁護士

澤藤統一郎

被告

右代表者法務大臣

田沢智治

右訴訟代理人弁護士

真鍋薫

右指定代理人

小尾仁

外五名

主文

一  被告は、原告らに対し、各二一二五万九一二〇円及びこれに対する平成四年一〇月四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを三分し、その二を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。

四  この判決は、原告ら勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求の趣旨

被告は、原告らに対し、各三三一二万五〇〇〇円及びこれに対する平成四年一〇月四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、訴訟承継前原告亡井上志津子(以下「志津子」という。)が、昭和五九年六月一二日に国立療養所松戸病院(以下「被告病院」という。)で腺様嚢胞癌と診断され、同病院において同年一一月一五日から昭和六二年二月五日までの間に四回の放射線治療を受けたところ、放射線脊髄症となり、平成四年一〇月三日に死亡したことについて、志津子の相続人である原告らが、右死亡は被告病院の担当医師らの過失に基づくものであるとして、被告に対して、診療契約の債務不履行に基づく損害賠償を請求した事案である。

一  争いのない事実等

1  当事者

原告らは、志津子の子であり、志津子は、昭和七年二月一六日生まれの主婦であった。被告は、千葉県松戸市高塚新田一二三番地一所在の被告病院を設置して経営している。

2  診療契約の成立

志津子は、昭和五九年五月二二日、被告病院で検査を受けたところ、胸部X線写真と同断層写真から左肺下葉の無気肺が認められたため、同月三〇日、検査のための入院を勧められ、同年六月六日、被告病院に入院し、志津子と被告との間で、検査及び治療を目的とする診療契約が成立した。

3  診療の経過(<書証番号略>、証人西山祥行、同砂倉瑞良及び弁論の全趣旨)

(一) 志津子は、入院後の同月一二日、気管支ファイバースコープ検査により左主気管支に原発した腫瘍が気管にまで浸潤していることが発見され、病理組織検査(生検)により腺様嚢胞癌であると診断された。同月一五日には、胸部CT検査により気管及び左主気管支の内外に腫瘍が形成されていることが発見された。

肺の腺様嚢胞癌は、気道(気管、気管支)の粘膜上皮から発生して気管支上皮下を這うように進展し、気管支全体をやや長い範囲にわたって狭窄、閉塞する特徴があり、志津子の場合も、癌が左主気管支から気管という気道部分に発生して、高度の狭窄が認められたため、気道閉塞の危険があった。

そこで、同月一六日、被告病院外科の西山祥行医師(以下「西山医師」という。)によって、気管管状切除及び左肺全摘除、リンパ節郭清術の手術が施された。しかし、志津子の右肺が全面的に癒着してその癒着剥離に時間がかかり、手術途中で低酸素血症が著明となったため、手術を中止せざるを得なくなり、右手術は試験開胸に終わった。

(二) 志津子は、その後も左主気管支狭窄による呼吸困難が続き、左肺の機能がほとんどなくなり、このまま放置すると左主気管支だけでなく右主気管支も閉塞して窒息死する危険性があったことから、早急にこの状態を改善させる必要があったため、西山医師は、その方法として放射線治療を検討し、志津子の夫である井上一雄に右治療の説明をした。

そして、同年一一月一五日から同年一二月二一日までの間、被告病院放射線科砂倉瑞良医師(以下「砂倉医師」という。)によって、左主気管支から気管支にかけて、照射野を八×八センチメートルとして、前後対向二門照射の方法により、一回二グレイを週五回(合計五四グレイ)照射する放射線治療が施された(以下「一回目の放射線治療」という。)。

(三) 一回目の放射線治療により、志津子の呼吸困難等の症状は軽快し、腫瘍も縮小して左主気管支の閉塞も軽減した。しかし、同月二五日に実施された気管支ファイバースコープ検査及び生検により左主気管支に癌の遺残が認められ、これを放置すれば癌の再増殖により気道閉塞から窒息死に至る危険が明白であったため、放射線の追加照射が決定された。

そして、昭和六〇年一月一〇日から同月一九日までの間、砂倉医師によって、同部位に、照射野を六×六センチメートルとして、前後対向二門照射の方法により、一回二グレイを週五回(合計一四グレイ)照射する放射線治療が施された(以下「二回目の放射線治療」という。)。

(四) 二回目の放射線治療後、腫瘍は更に縮小したものの、気管支ファイバースコープ検査ではまだ癌が残っているのが認められた。しかし、砂倉医師は、これ以上の放射線治療は副作用を考えると不可能であったことから、志津子を退院させて経過観察を行うこととし、同年三月一七日、志津子は被告病院を退院した。

同年四月一一日、志津子は、心部から左胸部にかけての痛みが出現し、下痢も併発したので、同月一三日、被告病院に再入院したところ、胃体上部小弯に小潰瘍が発見され、萎縮性胃炎の症状が認められた。また、気管支ファイバースコープ検査の結果、左主気管支模様部粘膜面に不整が見られ、生検では癌細胞陰性であったが、ファイバースコープによるブラッシングでは腺様嚢胞癌が認められた。しかし、経過観察をすることとされ、投薬により上腹部の症状がとれたため、志津子は退院した。

その後、志津子は、同年五月二四日から同年七月一二日まで、同年八月二三日から同年一二月一三日まで、昭和六一年二月七日から同年七月四日まで、いずれも被告病院呼吸器外科外来に通院して検査を受け、また、昭和六〇年七月二七日、昭和六一年一月一一日及び同年三月七日には、いずれも被告病院に検査目的で入院したが、胸部X線写真撮影や気管支ファイバースコープ等の検査によっても異常は認められなかった。

ところが、志津子は、同年八月二日、胃及び気管支の検査のため被告病院に再入院し、同月八日、気管支ファイバースコープ検査を受けたところ、気管分岐部から口側へ三リングの部分から五リングの高さまで気管膜様部側に腫瘤病変及び表面の粘膜下毛細血管の怒張が認められた。これは、これまでに放射線治療を施した範囲外の部位の肺癌の再発であると考えられたため、同月一三日から同年九月一七日までの間、右部位に、照射野を縦四センチメートル、横五センチメートルとして、斜入対向四門照射の方法により、一回二グレイを週五回(合計五〇グレイ)照射する放射線治療が施された(以下「三回目の放射線治療」という。)。

(五) 三回目の放射線治療の結果、病変はほぼ消失し、志津子は、同月二八日に被告病院を退院し、その後、被告病院の外来で経過観察を受けていたが、同年一二月二〇日ころから、胸部疼痛が増強して左下肢の痺れ感が現れ、昭和六二年一月一六日には、両下肢痛が増強して左下肢が動かなくなり、同月二〇日には、左胸部痛及び左脚痺れ感が著しく、歩行困難となったため、同月二一日に被告病院に再入院したものの、入院時には第六胸椎以下の不全麻痺があり、胸部側面X線写真の結果、第六胸椎に圧迫骨折が認められ、骨シンチグラムの検査において、第六胸椎に集積像が見られた。西山医師は、この時点では、疼痛も強く、癌の骨転移による不全麻痺及び疼痛の疑いが最も強いものと考えて、放射線治療が必要であると判断した。

そこで、同年二月五日から、第六胸椎に対して、照射野を四×四センチメートルとして、一二門照射の方法により、一回2.4グレイの放射線治療が開始された。しかし、両下肢ともに完全麻痺となり、疼痛の緩和等の臨床的効果もなかったため、砂倉医師の判断により、同月一二日に合計一二グレイを照射したところで、放射線治療は中止された(以下「四回目の放射線治療」という。)。

(六) その後、志津子は、第六胸椎以下の完全麻痺の症状が固定し、回復不能と判断され、同年六月一〇日に被告病院を退院し、国立療養所箱根病院へ転院してリハビリテーションの治療を受けたが、平成四年一〇月三日、死亡した。

4  志津子の症状及び死亡の原因

志津子の第六胸椎以下の完全麻痺の症状は、前記放射線治療の副作用としての放射線脊髄症によるものであり、一回目及び二回目の放射線治療において、前後対向二門照射の方法で合計六八グレイの放射線を照射された際に、第六胸椎も同量の放射線を被曝したことから放射線脊髄症が発症し、その後、第六胸椎以下の完全麻痺の状態となったのである。また、死亡の原因は、放射線脊髄症による慢性呼吸障害から生じた肺炎である(<書証番号略>)。

5  相続

志津子は、平成四年一〇月三日に死亡し、志津子の子である原告らが、各二分の一の割合で相続した。

二  争点

本件の争点は、被告病院の行った放射線治療の適否及び損害額にあるが、三回目の放射線治療は、第六胸椎への放射線照射がなかったことから争点となっていない。

1  一回目及び二回目の放射線治療の方法に過失があるか。

(原告の主張)

悪性腫瘍に対する放射線治療は、放射線が腫瘍を含む生体組織に対する破壊能力を有することから治療効果のあるものであるが、反面、その照射が健全な組織に向けられたときは危険な副作用をもたらすものである。しかも、耐容線量を超える放射線照射を受けると、急激に障害発生の危険性が増大するのであるから、放射線治療を行うに際しては、治療に必要な最低限の線量で、病巣部位に局限して照射し、周囲の健全な組織への放射線被曝を最小限に抑えて、その耐容線量を厳守する必要がある。

脊髄の最低耐容線量(五年以内に一ないし五パーセントの確率で障害が起こる線量)は四五グレイであり、それを超える場合には、脊髄に危険を及ぼす恐れを考慮しなければならないのであるから、被告病院の担当医師は、一回目及び二回目の放射線治療において脊髄への放射線線量を、その最低耐容線量である四五グレイに抑える必要があり、その線量を超える放射線治療を施すにあたっては、脊髄への放射線照射を回避するような照射方法を採用する義務があった。

しかし、被告病院の担当医師は、一回目及び二回目の放射線治療において、前後対向二門照射の方法により、合計六八グレイの放射線照射をしているのであって、右照射方法が身体の前方と後方に正対した照射野を置いて前方と後方から交互に同量の放射線を照射するもので、必然的に二つの照射野に位置するすべての組織が同量の放射線被曝を受けるものであることからすると、右放射線治療により、被告病院の担当医師は、脊髄に対して、病巣部位と同量の六八グレイという脊髄の最低耐容線量をはるかに超える線量を照射したことになる。

脊髄への放射線照射を回避あるいは減少する方法として、打抜き照射、多門照射、回転照射等の方法があり、脊髄の耐容線量を超える時点で前後対向二門照射からそれらの照射方法を採用することも可能であった。

したがって、被告病院の担当医師は、放射線の脊髄への被曝を回避するような措置を採らずに、漫然と脊髄に耐容線量を超える放射線を照射したのであって、その結果放射線脊髄症を発症させたのであるから、その放射線治療の方法には過失がある。

(被告の主張)

志津子は、腺様嚢胞癌に罹患しており、左主気管支に原発した腫瘍が気管にまで浸潤して左主気管支から気管にかけて高度の狭窄が認められ、気道閉塞による窒息死という危険が明白な状態にあり、その除去のための外科的手術が志津子の状態悪化のために途中で中止せざるを得なくなり試験開胸に終わっていることから、腺様嚢胞癌の局所進展を抑え、気道閉塞による窒息死を回避し、呼吸機能を温存するために一回目の放射線治療が行われたのであって、その治療は、救命を第一の目的とし、緊急を要し、癌病巣に十分な放射線量を確実に照射し、しかも、呼吸機能を温存させる必要があった。

志津子は、気道狭窄のため胸部の圧迫感と呼吸困難が強く、放射線治療体位を保持することが苦痛な状態であったため、短時間のうちに治療を済ませる必要があり、また、志津子の場合、非常に再発しやすい癌であり、左主気管支に再発することが予想された上、左肺が炎症を繰り返したり肺炎を起こす等していたことにより機能しなくなることが予想されたため、右肺の機能を温存する必要があったこと、他方、左肺についても放射線照射による放射性肺炎及びそれによる感染症が非常に起きやすい状態にあったこと等から、肺を通して放射線を照射することは避ける必要があった。そこで、病巣の位置決めが容易で、治療に要する時間が短くて済み、肺への照射を避けうる前後対向二門照射の方法を採用したのである。他の照射方法では、肺が照射野に含まれてしまうことになる。

そして、脊髄の耐容線量は一般に五五グレイとされており、志津子の年齢が比較的若いこと等を考慮して、一回目の放射線治療の放射線量を五四グレイとしたものである。

ところが、一回目の放射線治療後も癌の残存が認められ、このままでは、癌の再増殖により気道狭窄が起こり窒息死に至ることが明白な状態であったことから、それを防ぐために二回目の放射線治療が行われたのであり、この治療も、確実に病巣を照射して局所を絶対に制御し、また、呼吸機能を温存するために、左肺の機能が失われる可能性があったことから右肺の機能を温存する必要があり、右主気管支への癌の進展を避けることが必要であった。そこで、右主気管支をできるだけ照射野に含め、しかも、右肺を照射野から外すことのできる前後対向二門照射の方法を採用したのである。

そして、放射線の危険性にとらわれ、後遺障害の発生を恐れて消極的に不十分な線量で照射を終わらせた場合、肺癌の局所的治療が得られず、気道閉塞という極めて重篤な局面を迎えることとなり得るので、扁平上皮癌の場合を参考に追加照射線量を一四グレイ(合計六八グレイ)と決めたのである。

このように、一回目及び二回目の放射線治療は、将来発症する可能性のある放射線脊髄症よりも、当面の救命及び肺機能の温存を優先させたのであって、病巣が椎体の直前に存在し、放射線治療において、脊髄への照射を回避することが困難であった上、前記事情が存在したことにより前後対向二門照射の方法を選択したのであるから、その方法は不相当とはいえず、過失もない。

2  四回目の放射線治療と志津子の症状との間に因果関係があるか。また、右放射線治療に過失があるか。

(原告の主張)

(一) 志津子の放射線脊髄症は、一回目及び二回目の放射線治療により発症したものであるが、四回目の放射線治療も志津子の症状悪化の原因として因果関係を有する。

(二) 四回目の放射線治療は、癌の骨転移と判断して第六胸椎を対象として行われたものであるが、志津子の症状は放射線脊髄症によるものであり、第六胸椎への放射線照射は、全く無益なものだけでなく有害なものであった。

志津子は、一回目及び二回目の放射線治療により、脊髄に耐容線量を超える放射線を被曝しているのであるから、被告病院の担当医師としては、まず、放射線脊髄症を疑うべきであり、少なくとも、その可能性を疑って診療がなされるべきであったところ、四回目の放射線治療は、鑑別診断の結果が出る前に行われたのであるから、その治療には過失がある。

(被告の主張)

(一) 放射線脊髄症が放射線の晩発性障害であることを考慮すれば、放射線脊髄症の原因は、一回目及び二回目の放射線治療にあり、四回目の放射線治療は志津子の障害には直接関与していない。

(二) 四回目の放射線治療は、下肢の痺れ感や胸部の疼痛の症状及び胸部X線写真の骨折等の所見により、肺癌の第六胸椎への骨転移による症状の出現の疑いが強いと考え、完全麻痺への移行を防ぐ目的で、緊急治療としてなされたものであり、脊髄骨への転移により、その部の疼痛や不全麻痺の出現の見られるときにそれを改善させたり、疼痛をコントロールするために緊急措置として放射線治療が行われることは臨床では広く行われているところであるから、結果的に骨転移でなかったとしても、その治療を採用したことに過失があるとはいえない。

3  損害額

(原告の主張)

(一) 志津子に生じた損害は、以下のとおりである。

(1) 慰謝料 三〇〇〇万円

志津子は、死に至るまでの五年間、歩行も起立も不可能であっただけでなく、寝返りひとつ、便通、排尿すら自力でできない状態であり、死の恐怖に苛まれ続けたのであって、慰謝料額は三〇〇〇万円を下らない。

(2) 逸失利益 二八八〇万円

① 志津子は、主婦であるので、全女性の全産業労働者の平均年収を三〇〇万円として年収の基準とし、被告病院を退院した昭和六二年六月一〇日から死亡した平成四年一〇月三日までの五年間、放射線脊髄症により労働能力を完全に喪失した状態であったから、その間の逸失利益は一五〇〇万円となる。

(三〇〇万円×五年=一五〇〇万円)

② 志津子は、死亡時六〇歳であり、六八歳までの八年間、右三〇〇万円の年収を得ることができたのであり、生計費控除率を三〇パーセントとし、中間利息の控除について新ホフマン係数(6.589)を用いると、将来の逸失利益は一三八〇万円となる。

(300万円×(1−0.3)×6.589=1380万円)

(3) 介護費用及び雑費一五〇〇万円

志津子は、被告病院の退院から死亡までの約五年間、自力で日常生活を営むことができず、一日として介護を欠かすことができない状態であった。そして、職業的介護者の介護費用は一日一万円を上回るものであり、また、志津子は、右五年間、放射線脊髄症の治療のために病院への入通院を繰り返しており、その際、移動には寝台車付の特殊な自動車が必要であった等からして、介護費用及び雑費は、一日一万円として計算し、通算一五〇〇日分で一五〇〇万円となる。

(4) 弁護士費用 七三八万円

右(1)ないし(3)の合計は、七三八〇万円となるところ、志津子は、本件訴訟の提起・追行を原告代理人に委任し、原告代理人との間で、認容額の一〇パーセントに相当する額(七三八万円)を弁護士報酬とする契約を締結した。

(二) 右(1)ないし(4)の合計額は、八一一八万円であるが、原告らは、志津子の死亡によって、いずれもその二分の一の割合(四〇五九万円)で相続したところ、その内金として、各三三一二万五〇〇〇円を請求する。

(被告の主張)

腺様嚢胞癌は、根治的放射線治療として七〇グレイ程度の放射線量を照射しても、二〇パーセントくらいの完治率しか望めないという、非常に救命率の低い症例であり、しかも、志津子の罹患した気管、気管支原発の腺様嚢胞癌は、頭頸部に比し生命に直接的に影響を与える確率の高いものであるから、その救命率は更に低いものとなるのであって、損害額算定にあたっては、そのことも斟酌すべきである。

4  損益相殺

(被告の主張)

志津子は、障害基礎年金及び障害厚生年金として、総額四七八万七六二〇円の支給を受けていたが、これらは、障害者に対する損失補償ないし生活保障の目的をもって支給されるものであり、原告らの請求する逸失利益及び介護費用とその意味内容を同じくするものであるから、志津子の逸失利益及び介護費用から控除されるのが相当である。

(原告の主張)

社会保険等公的給付の受給がある場合に、これを損害賠償金から損益相殺することが許されるのは、給付の趣旨目的と、民事上の損害賠償のそれとが一致すること、すなわち、保険給付の対象となる損害と民事上の損害賠償の対象となる損害とが同性質であり、保険給付と損害賠償が相互補完性を有する関係にある場合に限定されると解すべきところ、障害基礎年金及び障害厚生年金は、民事損害賠償制度とは、給付要件及び趣旨目的を異にするものであり、特に、自らの拠出金の還元である保険制度における給付金においては、給付要件及び趣旨目的の乖離は甚だしいから、民事上の損害賠償において損益相殺の対象とならない。

第三  争点に対する判断

一  一回目及び二回目の放射線治療の方法に過失があるかについて検討する。

1  証拠(<書証番号略>、鑑定及び証人真崎規江)によれば、放射線脊髄症は、一旦発症すると有効な治療法がなく、その変化は不可逆性であり、日常生活に支障を来し、生命に関わる重度の障害となり、ほとんどの場合が死に至るものであることが認められる。したがって、放射線治療を行う者は、照射部位に脊髄が含まれる場合には、できるだけ脊髄への照射を回避する措置を採り、その耐容線量を超えないようにする注意義務を負うものというべきである。

2  ところで、一回目及び二回目の放射線治療は、前後対向二門照射の方法により合計六八グレイの放射線を照射しているが、この方法では、脊髄が病巣部位と同量の放射線を被曝することとなり、脊髄にも合計六八グレイの放射線が照射されたことになる。

証拠(<書証番号略>、鑑定及び証人真崎規江)によれば、脊髄の耐容線量は、個体差があり、また、照射野や一回の照射線量によっても異なるものであって、単純に決められるものではないが、一回の照射量が二グレイ程度であり、照射野が広くない場合の脊髄の耐容線量は、大体四〇から五〇グレイの間であること、本件の放射線治療当時教科書的扱いを受けていた「癌・放射線療法」(一九七八年出版)にも脊髄の耐容線量は四五グレイであるとの記載があり、これが当時の標準的な考え方であったこと、また、同年の米国対癌協会の放射線治療マニュアルには、放射線脊髄症の最低耐容線量(五年以内に一ないし五パーセントの確率で障害を起こす線量)は四五グレイ、最大耐容線量(五年以内に二五ないし五〇パーセントの確率で障害の起こす線量)は五五グレイである旨、一九七九年出版の外国の放射線治療の教科書には、脊髄照射は四五グレイ/四週を超えてはならない旨それぞれ記載されていること、脊髄に六八グレイの放射線が照射された場合には、放射線脊髄症発生の危険性が非常に高いこと、以上の事実が認められる。

したがって、一回目及び二回目の放射線治療により照射した合計六八グレイの放射線は、脊髄の耐容線量を超え、放射線脊髄症発生の危険性の高い線量であることが認められる。

3  そして、証拠(<書証番号略>、鑑定及び証人真崎規江)によれば、脊髄への照射を回避する方法としては、斜方向からの照射法、回転照射法、多門照射法等があるが、本件においても、斜方向からの照射野を設定して、病巣部位のみを照射することは技術的に可能であり、実際、被告病院で行われた三回目の放射線治療において採用された斜入対向四門照射の方法によれば、脊髄への照射を避けられたものと認められる。したがって、被告病院の担当医師は、本件の病巣部位への照射線量を維持して、しかも、脊髄への照射を回避する措置を採り得たものと認められる。そして、右方法を採用することが技術的に困難であったことを認める足りる証拠もない。

4  被告は、一回目の放射線治療は、気道閉塞による窒息死を回避し、呼吸機能を温存するために、病巣部位に確実に照射できて短時間で治療が済み、かつ、肺への照射を避けることのできる前後対向二門照射の方法を採用したのであり、また、二回目の放射線治療も、一回目の放射線治療後に癌の残存が認められたことから、気道閉塞による窒息死を回避し、呼吸機能を温存するために、右主気管支をできるだけ照射野に含め、しかも、右肺を照射野から外すことのできる前後対向二門照射の方法を採用したのであるから、その方法により脊髄に耐容線量以上の放射線が照射されたとしてもやむを得ないと主張し、証拠(<書証番号略>、証人西山祥行及び同砂倉瑞良)には、それに沿う部分がある。

確かに、一回目の放射線治療は、その当時、志津子の呼吸困難が強く、気道閉塞による窒息死の危険が差し迫った状態にあって、外科的手術が試験開胸に終わったことに照らすと、その状態を改善するためになされたのであって、緊急を要するものであったことは容易に推認できる。しかも、志津子は、呼吸困難が強く、体動もあったと推測されるから、放射線治療の当初の段階においては、確実に照射でき、しかも、照射時間の短い前後対向二門照射の方法を採用したことは許容されるといえる。

しかし、脊髄の耐容線量を超えるような放射線照射をする場合には、その耐容線量を超える時点までには、既に病巣部位に対してある程度の放射線が照射されており呼吸困難も一応治まっていると推認できるし、前記認定のとおり、被告病院が斜入対向四門照射の方法を採用し、これを実施することは技術的に可能であることからすると、最後まで前後対向二門照射の方法で行う必要はなく、遅くとも耐容線量を超える時点では、前後対向二門照射の方法以外の照射方法を採用すべきであったといえる。

また、肺への照射を避け、右主気管支を照射野に含める必要があるために前後対向二門照射方法を採用したとの主張も、証拠(<書証番号略>、証人砂倉瑞良、鑑定及び証人真崎規江)によれば、肺の放射線耐容線量については、これも一概には決められないものであるが、「標準放射線医学・第三版」(一九八八年発行)には、照射範囲を肺葉部分とした場合の最低耐容線量が四〇グレイ、最大耐容線量が六〇グレイと記載されており、いずれにしても、一回目及び二回目の放射線治療において、遅くとも脊髄の耐容線量を超えた時点で、斜方向からの照射方法を採用しても、肺への放射線線量は、その耐容線量以下に抑えることができたこと、そして、たとえ、その照射により肺に障害が起こったとしても、治療可能で重篤にはならなかったことが認められる。

更に、右各証拠によれば、本件の場合、腫瘍の増大を予測して照射野を広くとり、右主気管支をも照射野に含めるために照射野の幅を少なくとも九センチメートルとする必要があったが、この場合でも、斜方向からの照射によって、脊髄への放射線照射を回避し、かつ、放射線肺炎の発生を防ぐことが可能であったと認められる。

したがって、被告の主張は、理由がなく採用できない。

5  人の生命及び健康を管理する業務に従事する医師は、その業務の性質に照し、危険防止のため実験上必要とされる最善の注意義務を要求され、したがって、医師としては、患者の病状に十分注意し、その治療方法の内容及び程度等については診療当時の医学的知識に基づきその効果と副作用等すべての事情を考慮し、万全の注意を払って、その治療を実施しなければならない(最判昭和四四年二月六日・民集二三巻二号一九五頁参照)。

これを本件についてみるに、前述のように、放射線脊髄症が有効な治療方法がなく、その進行が不可逆的で、死に至る危険性の極めて高い病気であることに鑑みると、脊髄への放射線被曝が余儀なくされるときには、その耐容線量を超えないように厳格な注意義務が要求されるものといわなければならないところ、前記のとおり、被告が一回目及び二回目の放射線治療により前後対向二門照射の方法で照射した合計六八グレイの照射量は、放射線脊髄症発生の危険性の高い線量であること、本件診療当時、本件の病巣部及びその周辺を含めた必要とされる照射部に同量の放射線量を照射する場合でも、脊髄への放射線照射を回避し、かつ、放射線肺炎を防ぐ照射方法が存在し、その方法を採用することも可能であったこと、その他前判示の諸事情を総合すると、被告病院の担当医師の実施した右放射線治療の方法は、少なくとも脊髄への放射線照射を回避すべきであるのにその措置を怠ったものといわざるを得ず、被告病院の担当医師には、右放射線治療について過失がなかったものとは認められない。

二  四回目の放射線治療については、志津子の放射線脊髄症が一回目及び二回目の放射線治療により発症し、その進行が不可逆的であることをも考え合わせると、仮に、四回目の放射線治療における判断がやむを得ないものであって、その治療も相当なものであるとしても、一回目及び二回目の放射線治療と志津子の死との間には相当因果関係が認められ、前記認定のとおり、一回目及び二回目の放射線治療には、被告病院の担当医師の過失が認められることからすれば、四回目の放射線治療の適否を判断するまでもなく、被告は、志津子の死により生じた損害を賠償する義務を負うといわなければならない(四回目の放射線治療が志津子の症状悪化の原因となっているとしても、それを判断する必要はない。)。

三  そこで、損害額について検討する。

1  前記認定のとおり、志津子は、腺様嚢胞癌に罹患していたため、気道閉塞による窒息死を回避する目的で本件の放射線治療が行われたのであるが、右治療後志津子の死亡まで五年九か月余りの間、癌が再発したことを認めるに足りる証拠はない。しかし、証拠(証人真崎規江)によれば、五年間再発がないことをもって完治とする場合において、放射線治療による癌の完治率は二割程度であると認められ、前記志津子の病状をも考慮すると、適切な照射方法を採用した場合に、癌の再発の可能性がないとはいえない。また、放射線の耐容線量は個体差があるものであるから、本件の場合、たとえ、脊髄への耐容線量を超えた時点で斜方向からの照射方法を行い、かつ、照射量を肺の耐容線量以下に抑えたとしても、放射性肺炎等の障害が発症する可能性も残されているといわざるを得ない。そうだとすると、志津子が完治して通常の生活を営むことができることを前提に損害額を算定するのは、かえって公平を失するものと考えられる。したがって、以上の諸点を総合的に考慮すると、後記2の(一)ないし(三)の損害については、合計額の七割に相当する額をもって本件放射線治療と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。

2(一)  慰謝料

証拠(訴訟承継前原告井上志津子、原告井上和美)によれば、志津子は、第六胸椎以下の完全麻痺の状態が固定し、昭和六三年六月一八日に国立療養所箱根病院を退院した後は、数か所の病院に通院あるいは入院した以外、自宅で寝たきりの状態であり、平成四年一〇月三日の死亡に至るまで、歩行も起立もできず、便通や排尿も自力でできない状態であったことが認められる。そして、放射線脊髄症が有効な治療法がなく、その進行が不可逆的で、ほとんどの場合が死に至るものであることをも勘案すれば、志津子の受けた精神的損害は少なからぬものと認められるのであって、その他諸般の事情を総合的に判断すると、二〇〇〇万円をもってその慰謝料とするのが相当である。

(二)  逸失利益

(1) 被告病院退院後死亡までの逸失利益

志津子は、昭和七年二月一六日生まれの主婦であるから、年収については、賃金センサス第一巻第一表の全女性の全産業労働者の平均年収を基準(本件請求において、原告は、志津子の死亡時からの遅延損害金を請求していることに鑑みると、その基準については、死亡時である平成四年の賃金センサスを基準とするのが相当である。)に考えて三〇〇万円とするのが相当である。そして、前記認定のとおり、志津子は、被告病院を退院後は、数か所の病院に通院あるいは入院した以外、自宅で寝たきりの状態であり、死亡に至るまで、歩行も起立もできず、便通や排尿も自力でできない状態であったから、右退院時から放射線脊髄症により労働能力を完全に喪失した状態であったというべきである。したがって、右退院時の昭和六二年六月一〇日から死亡した平成四年一〇月三日までの五年間についての逸失利益は、左記の計算式のとおり一五〇〇万円となる。

三〇〇万円×五年=一五〇〇万円

(2) 死亡後の逸失利益

志津子は、死亡時六〇歳であり、六七歳までの七年間、右三〇〇万円の年収を得ることができたものと考えられるから、生計費控除率を三〇パーセントとし、その間の中間利息控除につきライプニッツ係数(5.7863)を用いると、将来の逸失利益は、左記の計算式のとおり一二一五万一二三〇円となる。

300万円×(1−0.3)×5.7863=1215万1230円

(三)  介護費用及び雑費

前記認定のとおり、志津子は、第六胸椎以下が完全麻痺した状態が固定しており、被告病院を退院した後は、病院に通院あるいは入院した以外、自宅で寝たきりの状態であり、死亡に至るまで、歩行も起立もできず、便通や排尿も自力でできない状態であったから、介護がなければ日常生活を営むことができない状態であったというべきである。そして、証拠(訴訟承継前原告井上志津子、原告井上和美)によれば、志津子は、昭和六二年六月から昭和六三年六月までの間、前記箱根病院に入院し、原告井上和美が週一ないし二回程付き添っていたこと、昭和六三年六月に右病院を退院してからは、看護婦家政婦紹介所から介護者の斡旋を受け、毎日介護者に介護してもらったこと、病院に入院しているときは、毎日二四時間の介護を、自宅で療養しているときは、原告井上和美が会社に出ている午前九時から午後五時までの間の介護を依頼していたこと、介護者の時給は、一三〇〇円ないし一五〇〇円であって、月平均介護料として約二五万円程度要したこと、江戸川区から一部補助がでていたこと、志津子は、放射線脊髄症の治療のため病院への入通院を繰り返し、その際、移動には寝台車付の特殊な自動車が必要であったことが認められ、その他諸般の事情を考慮すると、志津子が被告病院を退院してから死亡するまでの介護費用及び雑費として、少なくとも一五〇〇万円を要したことが推認でき、右金額をもって被告に対して賠償を求め得る介護費用及び雑費とするのが相当である。

3  次に、損益相殺について検討する。

(一) 証拠(<書証番号略>、調査嘱託に対する社会保険業務センター業務部長の回答)によれば、志津子及び原告らは、障害基礎年金及び障害厚生年金として、総額四七八万七六二〇円の給付を受けていたことが認められる。

(二) ところで、障害基礎年金は、国民年金法に基づいて給付されるものであり(同法一五条)、障害厚生年金は、厚生年金保険法に基づいて給付されるものである(同法三二条)が、両者とも、第三者の行為により障害が生じた場合において、政府は、障害基礎年金及び障害厚生年金を給付した限度で、被害者が第三者に対して有する損害賠償請求権を取得し、その結果、被害者は、その限度で、損害賠償請求権を失うことになり、また、被害者が第三者から「同一の事由について」損害賠償を受けたときは、政府は、その限度で、右給付を免れることになる(国民年金法二二条一項、二項、厚生年金保険法四〇条一項、二項)ことからすれば、障害基礎年金及び障害厚生年金の支給は、障害から生じる損害を填補する性質を有しているものと解され、このことは、加害者が国であっても別異に解する必要はないものというべきである。したがって、障害基礎年金及び障害厚生年金の給付がなされたときは、被害者が加害者に対して取得した損害賠償請求権は、右給付と同一の事由については、損害の填補がされたものとして、その給付の価額の限度において減縮するものと解される。そして、右にいう給付と損害賠償が「同一の事由」の関係にあるとは、右制度の趣旨目的と民事上の損害賠償のそれとが一致すること、すなわち、給付の対象となる損害と民事上の損害賠償の対象となる損害が同性質であり、給付と損害賠償とが相互補完性を有する関係にある場合をいうものと解すべきであるところ、障害基礎年金は、「老齢、障害又は死亡によって国民生活の安定がそこなわれることを国民の共同連帯によって防止し、もって健全な国民生活の維持及び向上に寄与することを目的」(国民年金法一条)として給付されるものであり、障害厚生年金は、「労働者の老齢、障害又は死亡について」、「労働者及びその遺族の生活の安定と福祉の向上に寄与することを目的」(厚生年金保険法一条)として給付されるものであることに鑑みると、右「同一の事由」に関係にあることを肯定することができるのは、財産的損害のうちの消極的損害(逸失利益)に限られるものと解するのが相当である。

したがって、障害基礎年金及び障害厚生年金が給付されている場合には、逸失利益について、その限度で損害が填補されたものとして、右給付の価額の限度で控除すべきである。

(三) そうすると、志津子の逸失利益は、前記2(二)(1)と(2)の合計額二七一五万一二三〇円に、前記1で説示した理由により0.7を乗じて算出された1900万5861円から、前記障害基礎年金及び障害厚生年金として給付された総額四七八万七六二〇円を控除した残額一四二一万八二四一円となる。

4  弁護士費用

前記2(一)と(三)の合計額三五〇〇万円に、前記1で説示した理由により0.7を乗じて算出された額二四五〇万円と、前記3(三)の一四二一万八二四一円との合計額は、三八七一万八二四一円となる。そして、弁論の全趣旨によれば、志津子は、本件訴訟の提起・追行を原告代理人に委任し、相当額の報酬の支払を約束したことが認められるところ、本件事案の性質、事件の経過、認容額等に鑑みると、被告に対して賠償を求め得る弁護士費用は、三八〇万円が相当である。

第四  結論

以上の次第で、志津子の損害は、合計四二五一万八二四一円となるところ、原告らは、各二分の一の割合で志津子の右損害賠償債権を相続したのであるから、原告らの請求は、被告に対し、各二一二五万九一二〇円及びこれに対する志津子の死亡日の翌日である平成四年一〇月四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。なお、仮執行免脱宣言は、相当でないから付さないこととする。

(裁判長裁判官飯田敏彦 裁判官田中治 裁判官井上直哉)

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